母親として弱音を吐いてもいい

​ママの心のケア

障害児育児で泣いた日と支えられた言葉

「母親なんだから頑張らなきゃ」と思い込んでいた

子どもに障害があるとわかったとき、私の中で「母親はしっかりしなきゃ」というスイッチが入ったように思います。

不安や戸惑いでいっぱいのはずなのに、「泣いてなんかいられない」「私が崩れたらこの子はどうなるの?」と、心に蓋をして、とにかく強くあろうとしました。

周囲には「大変だね」と気づかってもらうこともあったけれど、そんなときほど笑顔で「大丈夫です」と返していた私。心の奥では「助けてほしい」と叫んでいたのに、素直に言葉にできない自分がいました。

母親は強くなきゃいけない。
母親なんだから頑張らなきゃいけない。

…そんな「理想の母親像」に、自分自身が押しつぶされていたのかもしれません。


夜泣きと通院、疲弊していく日々

うちの子は感覚過敏があり、特に夜は刺激に敏感でした。何時間も続く夜泣き、抱っこしても収まらない大声…。眠れない夜が何日も続くと、心も体も限界になります。

そのうえ、定期的な通院、療育センターへの送迎、福祉制度の手続きなど、頭を使うことも多く、ひとつひとつに神経をすり減らしていました。

家事も育児も中途半端で、自分の身なりも二の次。ある朝、鏡に映った疲れきった自分の顔を見て、「誰のために頑張ってるんだろう」と、涙が止まらなくなりました。

シングルマザーで誰とも日常の大変さを共有できず、実家も頼れない。
完全な“ワンオペ育児”の中で、「もう無理かもしれない」と思った日もあります。


思いがけず救われた、“あるママ友の言葉”

そんなある日、療育センターで一緒になったママさんに、何気なくこぼした一言がありました。

「なんか、全部に自信がなくなっちゃって…」

それは、これまで誰にも言えなかった本音でした。

するとそのママは、私の手をそっと握ってこう言ったんです。

「わかるよ。私も昨日、トイレで泣いたばっかりだよ」

その瞬間、張り詰めていた糸がぷつんと切れて、気がついたら私はその場で声を上げて泣いていました。

“あ、この人も泣いてるんだ”
“私だけじゃないんだ”

それだけで、心がふっと軽くなった気がしました。

「みんな頑張ってるよ。でも、頑張りすぎないで」
そう言ってくれた彼女の言葉は、今でも私の支えになっています。


弱さを見せられる場所があってよかった

その日から、私は少しずつ“弱さを出す勇気”を持てるようになりました。

完璧な母親でいようとしなくてもいい。
全部を笑顔で受け止めなくてもいい。
ときには「疲れた」「つらい」と言っても、誰も責めたりしない。

療育センターや児発で出会ったママたちとは、今ではLINEでやり取りをしたり、ちょっとした相談をしたりできる関係に。あの日の私が「助けて」と言えたことで、世界はほんの少し変わったのです。

支援の現場でも、医療機関でも、どこかに“安心して気持ちを吐き出せる場所”があること。
それが、障害児育児を続けていくうえで、何より大事なのかもしれません。


今だから言える、「ひとりじゃないよ」ということ

あの頃の私は、「強くなければならない母親」を演じ続けていました。

でも今は、こう思えるようになりました。

母親だって人間。泣いていい。落ち込んでいい。誰かに甘えてもいい。

そして、そんな私でも、この子にとってはかけがえのない“ママ”だということ。

障害があることは確かに大変です。でも、それ以上に「この子がこの世に生まれてくれたこと」が何よりの奇跡。だから、無理に笑わなくても、素直に泣いたっていい。そうやって本当の意味で“親子”になっていけるんじゃないかと、今では思えるようになりました。

もし今、過去の私と同じように苦しんでいるお母さんがいたら、こう伝えたいです。

「ひとりじゃないよ」

声に出すのが怖かったら、まずは心の中でつぶやいてみてください。
いつか、誰かにその思いが届いたとき、きっと新しい一歩が踏み出せます。

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